原題:GITANILLA, Suite d’Orchestre
Paul Lacôme
Riduzione di Jiro Nakano

邦題:組曲「ジプシーの乙女」
ポール・ラコム
中野二郎 編曲

楽章:
Ⅰ. Les Romani
流浪の人たち
Ⅱ. Sous les Étoiles, Berceuse
星の下に —子守唄—
Ⅲ. Sous le Soleil, Petite Marche
太陽の下に —小行進曲—
Ⅳ. Valse Bohême
ボヘミア風ワルツ

ポール・ラコム(Paul-Jean-Jacques Lacôme d’Estalenx、1838年生-1920年没)は19世紀後期に活躍したフランスの作曲家である。同世代の作曲家にはサン=サーンス、ビゼー、マスネらがおり、フォーレ、サティ、ドビュッシーといった近代フランス音楽の流れが始まる直前のロマン派最後期の作曲家に位置付けられる。(なお、当団で過去に演奏した「田園組曲」「交響的序曲」の作曲者ポール・ラコンブもラコムとまったく同時期にフランスで活躍した作曲家で、すでに当時からラコムの作品が誤ってラコンブ名で出版されるという混同があったようである。)

ラコムの音楽の特徴は、美しい旋律とエスプリの効いた洒脱さによる趣味の良い通俗性にあり、特にオペレッタの分野において国内外で成功を収め、フランス最高位の栄典であるレジオンドヌール勲章(騎士位)を受賞している。 また、スペイン国境に近いガスコーニュ地方のル・ウガ村に生まれ育ち、パリに出るまでの青年期にはスペイン出身の音楽家に師事していたことから、特にスペイン音楽を自家薬籠中の物として数多くの作品を発表している。本曲「ジプシーの乙女」や、かのイル・プレットロ誌の創刊号を飾った「山吹く風」の作者、A.モルラッキの編曲によりマンドリン合奏のレパートリーとして親しまれている「三つのスペイン舞曲」も、そうした作品の一つである。

スペインの音楽は、西欧の音楽をベースにアラビアの音楽、ジプシー(ロマ)の音楽、さらには中南米の植民地(とそこに連れて来られた黒人奴隷)の音楽など多くの民族的要素の影響を受けて独自の発展を遂げたもので、西欧の作曲家たちを大いに魅了し、数多の名曲が生み出されるインスピレーションの源泉となった。この点、ラコムが採譜・編曲して紹介したスペイン民謡集がヴェルディやビゼーの創作に深く関わっていることが指摘されている。

本曲「ジプシーの乙女」は管弦楽のための組曲で1880年頃の作曲。前述の「三つのスペイン舞曲」に魅了された中野二郎氏がマンドリン合奏の為に編曲し、1978年12月の同志社大学マンドリンクラブ第93回定期演奏会で発表されている。

第一楽章は、ジプシー(ロマ)の幌馬車での厳しい移動生活の描写や長閑な田舎を想わせるハバネラを経て、希望に満ちた旅路が続いてゆく。第二楽章は星空の下で歌われる極めて優美な子守唄で、まさに本組曲の白眉と言えよう。第三楽章は太陽の下で少女が楽しげに漫ろ歩く小行進曲。第四楽章「ボヘミア風ワルツ」では、スペイン音楽独特の非西欧的な旋法による音楽と西欧の典型的なワルツ音楽との聴き比べが楽しい。なお、楽章の表題にあるBoheme(ボエーム) は東欧のボヘミア地方に由来する言葉であるが、西欧のジプシー(ロマ)にはボヘミアから入ってきた集団が多かったため、ジプシー(ロマ)の別称として用いられている。

全体を通して、厳しい放浪生活のなかでも自由を謳歌し情熱的に人生を楽しむジプシー(ロマ)民族への素直な憧憬(そこにはビゼーの「カルメン」のような、当時の西欧における彼らを取り巻く社会環境への視点は全くないのだが。)が描かれ、通俗的でありながらも巧みな作曲技法により聴く者を魅了してやまない名曲である。

(筆者 清末信行)

ポール・ラコム通り

ラコムが音楽学校を設立したモン・ド・マルサンには、彼の名前の付いた通りがあります。