原題:Sinfonia, “L’uomo ordisce, la fortuna tesse”, op.31
Giovanni Borzoni
Trascrizione di Takayuki Ishimura
邦題:序曲「神の御心のままに」, 作品31
ジョヴァンニ・ボルツォーニ
石村隆行 編曲
ジョヴァンニ・ボルツォーニ(Giovanni Borzoni,1841年5月14日-1919年2月21日)はイタリアのパルマに生まれ、トリノで没しました。
彼は、優れたオペラ指揮者であり、要求の厳しいオーケストラ指揮者でもありました。また、教師としても優れており、優れた作曲家でもありました。作曲活動においては、歌劇作品もありますが、室内楽や、イタリアの器楽と交響曲の伝統を存続させることを目的とした数多くのオーケストラ作品に定評があります。
主な作品には、合唱付き交響曲「ジュリオ・チェーザレ」(ミラノで受賞、1868年)、序曲「サウル王の悲劇」(フィレンツェで第1位、1868年)、劇的組曲(ボローニャのコンクールで優勝、1873年)、交響曲ホ長調(1880年)、交響的カプリッチョ「畑の中で」(初演:トリノ音楽高校、1902年)、その他小編成および大編成オーケストラ向けのさまざまな作品(「青春物語」、「ダフニスとクロエ」、「ラ・プーレ」、「夕べのハーモニー」、「田舎の憂鬱」、「コップ一杯の水の嵐」、「葬送哀歌」、「海辺の牧歌」など)、祖国と労働と人類のカンタータ(1911年)などがあります。
幼少期に父親を亡くし、家族の貧困のために正規の教育も受けることができませんでしたが、母親が劇場の合唱団員から無料で音楽理論のレッスンを受けさせ、地元の音楽学校(現在の音楽院)に入学することができました。
彼はその学校に7年間通い、G.デル・マイノからバイオリン、グリフィーニから歌、グルムトナーからピアノ、G.ロッシから和声と作曲を学びました。その間、彼は劇場のオーケストラでバイオリニストとして演奏していました。
1859年に卒業した彼は、1864年にレッジョ・エミリア市立劇場の第一ヴァイオリン奏者(コンサートマスターと指揮者代行を兼任)として活動を開始し、その2年後にはクレモナ市立劇場でA.ポンキエッリと指揮者として共演し、1867年にはサヴォーナ(リグーリア州)でヴァイオリンの教師をしていました。サヴォーナからイタリアの主要な劇場に出向き、数多くのオペラを指揮しました。
1874年にペルージャのF.モルラッキ音楽院の所長に任命され、1876年まで滞在し、現地の劇場のオーケストラも指揮しました。その後、ピアチェンツァの市立劇場の所長を務め、数年後にトリノに定住しました。また、ヴェルディの推薦で、1884年から1889年までトリノの劇場の指揮を任されました。
1884-85年のオペラシーズンはG.プッチーニの「妖精ヴィッリ」で幕を開け、その初演は高く評価されました。その後の公演も素晴らしく、ガゼッタ・ピエモンテーゼ紙に評論家の絶賛の記事が掲載されました。
1886年4月にトリノのヴィットリオ劇場で行われた3つのコンサートや、同年12月の「ポピュラーコンサート」、ミラノのリコルディから招かれたスカラ座のオーケストラ協会の6つのコンサートなど精力的に指揮活動をおこないました。
1887年7月にトリノ音楽学校(現在のG.ヴェルディ音楽院)の校長に任命され、1916年までその職に就きました。彼は主に作曲と教育に専念し、多くの生徒を指導しました。
彼の指導の下、トリノ音楽学校は、理論とソルフェージュの必修化、バイオリンとビオラの学校の併設、四重奏の練習の開始、一般的な基礎知識、文学、科学の学校の設立、オルガン(1892年)、ハープ(1901年)、ピアノ(1903年)の講座の設立など、多くの重要な改革を行いました。
この間、1905年5月にトリノのヴィットリオ劇場で、1910年2月にはローマのアウグステオで彼の作品の作曲作品のみのコンサートを指揮しています。
音楽学校引退後の1919年2月21日にトリノで亡くなりました。
本曲は1875年リボルノ(トスカーナ州)で行われた吹奏楽の作曲コンクールで第1位となったものです。作品番号は31番で、上記主要作品に含まれる序曲「サウル王の悲劇」の30番と連番になっており、何れも30代の青年期の作品です。
序曲「サウル王の悲劇」については当団でも第22回定期演奏会で取り上げていますが、曲の構成やリズムの使い方などよく似ている部分があります。
本曲のタイトルの原題は”L’uomo ordisce,la fortuna tesse”となっており、「人が経糸を配し、運命が緯糸で織り成す」というイタリアのことわざが引用されています。「神の御心のままに」と訳されたことから極めて宗教性の高い曲のように捉えられがちですが、イタリア人の友人に訊いてみたところ、「運命は全て神が決めるものではなく、自身がやるべきことをやっていなければ幸運は得られない」というもので、どちらかというと人間の行いにフォーカスしたことわざのようです。
曲はニ短調の重苦しい序奏で始まります。静かに、重く、救われない状況が提示され、繰り返されます。マンドラにより悲しい想いが歌われた後、大きなクレッシェンドによって悲劇的になります。
途切れることなく開始されるAllegroは、細かく動く音符と印象的な付点のリズムを伴うシンコペーションが交錯してゆきます。マンドリンが細かく動き続ける中でマンドラがゆったりとした旋律を提示した後、マンドロンチェロとギターによる分散和音の上昇が加わって高まり、ffで第一主題の主部が提示されます。この主題は変化してヘ長調となり優美さを見せますが、すぐに激しくなります。繰り返されるモティーフが音符が拡大することで緩やかになって落ち着き、poco menoの第2主題へと続きます。
第2主題は、調号はそのままですが、ハ長調となって提示されます。Solの保続音の上で和声的に奏でられる音楽は祈りの印象です。そして、マンドリンとマンドロンチェロによる上昇、下降するオブリガートで彩られる中、マンドラが朗々と第2主題の旋律を繰り返した後、展開部としての第1主題に戻ります。
Allegroのモティーフが変化しながら繰り返される中、序奏の主題が暗示され、マンドロンチェロのソロを挟んで第2主題が変ロ長調で現れます。マンドラ以下の低音型楽器によって和声的な祈りが奏でられ、マンドリンのユニゾンが続きます。次いでギターによるリズムの下に序奏の主題がややリズミカルになって現れます。この音楽は徐々に激しさを増し、序奏の主題がffとなって再現されます。このとき、マンドリンの激しい動きが悲劇を演出しています。そしてそのまま再現部へと続きます。
Allegroの細かい動きが緊張感をつくって高まり、第1主題の主部が再現されます。それはそのまま拡大してGrandiosoとなり、祈りの第2主題がニ長調で高らかに歌い上げられます。そして最後は、Assai Mossoの速いテンポで序奏の主題や第1主題のモティーフを織り交ぜながら華やかに終結します。
原題のことわざに曲の内容を当てはめてみるなら、序奏は悲劇的な現状、第1主題は人間としての業、第2主題は神への祈りのといったところでしょうか。最後には序奏のモティーフはニ長調で現れますので、自らの行いと祈りによって状況は好転したのかもしれません。
(筆者 田口俊太郎)
ジョヴァンニ・ボルツォーニ通り
ボルツォーニの生誕の地であるパルマには、彼の名前を冠した通りがあります。