マンドリンという楽器の歴史をひもとくと、「パスクアーレ・ヴィナッチァが糸巻きを改良して鉄の弦を張れるようにしたことから音量が格段に向上した」と出てきます。
17世紀の中頃にナポリでマンドリンが造られるようになり、ヴィナッチァ家のアントニオⅠ、ヴィセント、アントニオⅡ、ガエタノと代々マンドリンを含む弦楽器を製作していました。ガエタノ時代には、スクリューギアの糸巻きが開発され、ギターにも使用されるようになりました(写真1)。ガエタノの息子であったパスクアーレがマンドリンにスクリューギアの糸巻きを採用したのは当然の流れだったのでしょう。



写真1 ガエタノ・ヴィナッチァ(Gaetano Vinaccia, 1847)
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写真1 ガエタノ・ヴィナッチァ(Gaetano Vinaccia, 1847)
ガエタノ・ヴィナッチァのギター。
1820年代にはスクリューギアの糸巻きが開発されていました。ナポリではヴィナッチァ、ファブリカトーレなどがこのスタイルの糸巻きを採用し、ギタリストのレニャーニ(Luigi Legnani, 1790-1877)によってウィーンのシュタウファーに伝えられて採用されました。
シュタウファーの弟子にはC.F.マーチンがおり、渡米してフォークギターに発展しました。

パスクアーレの息子のジェンナロとアッキーレの兄弟の時代になると、マルゲリータ王妃が愛用し、推奨したこともあり、マンドリンが爆発的に流行し、弟子たちを集めてヴィナッチァ兄弟社を設立して大々的に製作し始めます。貴族の嗜みであったマンドリンは庶民にも弾かれるようになり、廉価なモデルも造られるようになりました。マンドリンの生みの親でもあるヴィナッチァ家を継承するヴィナッチァ兄弟社は、マンドリンメーカーの絶対的王者として君臨します。

ジェンナロ、アッキーレが亡くなった後はジェンナロの息子のガエタノが工房の職人を引き受け、ヴィナッチァ兄弟社を維持(ガエタノ工房と併設)しました。


ヴィナッチャ兄弟社が ガエタノの工房に間借りしていた頃の工房の場所

この頃になるとローマではエンベルガーが、ナポリではカラーチェが頭角を表し、ヴィナッチァは押され気味でした。
ヴィナッチァでは、高級モデルは従来どおり受注による個別仕様を貫いていましたが、エンベルガーやカラーチェはエントリーモデルから最上位モデルまでカタログに載せて販売していました。
そこで起死回生の最上位モデルとして誕生したのがブレベッタートシリーズです。
マンドリンは細いリブを張り合わせてボールバックと言われる独特の形状を造りますが、補強のために紙等で内張りするのが伝統的な工法でした。それを内張りを無くして小さなブロックで補強し、しかもリブの枚数を減らして接着箇所を減らすということで音響的に優れるものを開発し、特許を取得しました。イタリア語のBrevettatoとは「特許取得品」という意味ですから、そのままモデルの名前にしています。



写真2 ブレベッタートの内部
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写真2 ブレベッタートの内部
内部には紙等の内張りは無く、菱形と長方形のブロックで補強されています。リブはダミーのライニングによって、外側から見ると1枚が2~3枚に見えるようになっています。リブが多いものほど高級とされていましたから、音響のために枚数を減らしたにも関わらず、枚数を多く見せる必要があったと思われます。

ブレベッタートシリーズは初期には様々なモデルがありました(写真3)が、後期には1700年代のヴィナッチァのマンドリン(写真4)を模したデザインを採用しました(写真5)。

また、ブレベッタートの中にもランクを設け、ヘッドや指板に施したラインの本数で現しました(写真6)。



写真3 ブレベッタートシリーズ初期のカタログ
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写真3 ブレベッタートシリーズ初期のカタログ
Vinaccia兄弟社のブレベッタートシリーズのカタログです。
表紙はマンドリンの名手エルネスト・ロッコの写真です。(抱えている楽器は何故かガエタノ・ヴィナッチャのマンドリンですが…)
見開き左に初期のモデルが掲載されています。当初はBREVETTATOの焼き印は無く、リストガードにBREVETTATOと刻まれていました。ヴィーナスヘッドも、ローマ型など様々なモデルがあったようです。
見開き右には以下の記載があります。
『これは、音響学とヴァイオリン製作の技術に基づいて製作された唯一のマンドリンです。この技術は木材の厚さを規定し、ヴァイオリンにおいては主に音の美しさや力強さを左右します。一般的なケース(スレート付き)を採用していますが、マンドリンに通常使用される紙、布、羊皮紙、木片などの内張りは施していません。この独自のシステムにより、ケース内全体に接着剤を塗布する必要がなくなりました。この接着剤は、決して音響的に良い素材ではありませんでした。
構造はシンプルで非常に堅牢であり、内張りシステムよりもはるかに優れています。内張りシステムは、接着剤層の影響で気候によって音色が変化するという欠点があります。
2世紀以上にわたり世界中にその名を馳せてきた当社のこの製法、そして楽器の製造法を熟知した私たちは、このマンドリンこそが真にコンサート用と呼べる唯一のマンドリンであると断言できます。A弦とE弦では、フルートのように響き渡るサウンド効果が得られ、D弦、G弦では、他の工房のマンドリンに見られる喉にかかった鼻にかかった音とは異なり、全音域にわたり並外れた力強さと心地よい音色が得られます。
標準サイズの形状は、1700年のヴィナッチァの熟練製作者、つまり当社の祖先が製作した真の古典楽器を忠実に再現しています。
詐欺的な広告を一切行わない当社の真摯な姿勢こそが、この特許取得済みのマンドリンが、上記で述べたすべての要件を満たしていることの確かな保証です。
同じシステムのマンドラ、マンドロンチェロ(リュート)もあります。』

裏表紙には、謎の日本人女性の写真が載っています。五月信子は松竹の看板女優でした。抱えているマンドリンはカタログページのC3タイプでしょうか。



写真4 ヴィンセンツォ・ヴィナッチァ(Vincenzo Vinaccio, 1770)
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写真4 ヴィンセンツォ・ヴィナッチァ(Vincenzo Vinaccio, 1770)
1700年代のヴィナッチァのマンドリンです。
当時のヴィナッチァのマンドリンはギザギザの形をしたヘッドにアイボリーの丸い飾りを付け、ネックの裏もアイボリーを埋め込んで縞模様にしていました。


写真5 後期のブレベッタート
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写真5 後期のブレベッタート
ヴィナッチァ兄弟社のブレベッタートは1700年代のマンドリンのデザインを模すことで特別な存在であることを演出しました。


写真6 一堂に会するブレベッタート
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写真6 一堂に会するブレベッタート
左から、初期B2タイプ(1927年)、ローマ型楓1本線モデル(1929年)、ローマ型楓1本線モデル(1928年)、ナポリ型楓1本線モデル(1928年)、ナポリ型ローズ2本線モデル(1929年)、ナポリ型ローズライオンヘッド2本線モデル(1929年)、ナポリ型ローズヴェルディヘッド4本線モデル(1933年)

1本線モデルは楓ボディでヘッドの糸巻きが露出したモデル、2本線になるとボディはローズウッドになり、ヘッドの糸巻きはカバーが取り付けられ内蔵型になっています。最上位モデルは4本線で、ヘッドにも鼈甲が貼られ、ピックガードが線で縁取られています(写真7)。



写真7 ブレベッタートの最上位の4本線モデル
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写真7 ブレベッタートの最上位の4本線モデル
左:マンドラの4本線ヴェルディヘッドモデル(1933年)
右:マンドリンの4本線モデル(1931年)

上位モデルはボディのリブが彫り込まれたスカロップになっているものが多いですが、必ずしも4本モデルがスカロップで2本モデルがプレーンということはないようです。4本にもプレーンがあり、2本にもスカロップがありますので、ボディが重くなったものは少し軽くするためにスカロップにしていたのだと思われます。

ブレベッタートは内張りが無いこともあり、音響の損失が少なく、クリアで豊かな音色が特徴です。今回の演奏会では4本線のマンドリン、マンドラを含む5台のブレベッタートを使用する予定です(写真8)。その他にもヴィナッチァを含む こだわりの楽器を多数使用しますので、それらによって奏でられる音色もぜひお楽しみください。

写真8 今回使用するブレベッタート
今回は5台のブレベッタートを使用します。
左からD4タイプ、ナポリ型4本線、ナポリ型2本線、マンドラ4本線ヴェルディヘッド、ローマ型1本線

(筆者 田口俊太郎)